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日本と中国の歴史をひも解くシリーズ

大東亜共栄圏から、三光政策へ、
なぜ日本のソフトな侵略は
失敗したのか?

从大东亚共荣圈,再到后来的三光政策,
日本的软侵略为何失败?

来源: 中国図書館史 2020-10-20
 

中国語翻訳:青山貞一(東京都市大学名誉教授)
独立系メディア E-wave Tokyo 2022年1月13日
 


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本文


 日本への抵抗戦争が始まった時、実は日本国内でも大きな論争があった。

 中国の軍事力に勝つのは大した問題ではないが、この中国の領土を完全に征服しようとすると、問題が絶えないというのだ。

 それは、日本の公務員集団が、儒教文化がいかに強力であるか、国家がいかに強大であるかを痛感していたからである。

 そのため、当時、日本は侵略を開始する際、ソフトな侵略によって中国を支配しようと、大東亜共栄圏を提唱したのである。 当時、これが騒ぎになったのは言うまでもないが、残念ながら大東亜共栄圏は長続きせず、すぐに三光政策に変わってしまった。 では、なぜこの日本の戦術は失敗したのか、という疑問が湧いてくる。

 実は、この問題を理解するためには、当時の大東亜共栄圏政策とは一体何だったのか、ということに目を向ける必要がある。

 かつて、日本に関する大東亜共栄圏はデリケートな話題であり、多くの人がそのことに触れたがらない時期があった。 しかし、いわゆる大東亜共栄圏、日本人に言わせればアジア人のアジアを確立し、アジア人をヨーロッパ人と同列に連れ出すことであったという真実の証言がまだ多く残っているのである。



 そして、日本の計画では、アジア全体が一つのまとまりとなり、経済資源や人的資源までもが連動して動員され、強力な日本帝国を形成することになる。 当時の中国でどうだったかという話は置いておいて、東南アジアの国々に与えた影響はかなり大きかったと思う。

 例えばタイのように、日本の大東亜共栄圏を本当に認めて、親密な関係を築いた国もあれば、日本軍に関与した軍隊もあり、台湾の高砂義勇軍は、その迅速で強力な戦闘力で日本軍の主力になったことすらある。



 ある時、日本軍が敗れ退却する際、タイなどの軍隊に武器を預け、欧米の支配に対抗して独立し、蜂起するように促した。 そのため、東南アジアの多くの国々が日本を懐かしみ、大東亜共栄圏を認識するようにまでなった。

 そして、これは日本人が自分たちの犯罪を明らかにするための重要な根拠となった。 しかし、実はそうではないことは、日本の対中政策の実績から見ても明らかである。



 日本が大東亜共栄圏を実施して以来、中国国民から抵抗され、汪精衛政権もあったが、暗殺されるか、国民全体から見放されたのが実情である。 そして、人民は共産主義者と一緒になって、第8ルート軍の新第4軍と一緒に敵陣の後ろの戦場で戦い、日本の後方を大破させた。

 その後、文化教育を行おうとしたが、第八路軍の宣伝が上手すぎて、日本軍に花を折る術がないことが判明し、江村寧次の三光政策に従って、狂ったように略奪を行うことになったのだ。



 では、当時の日本の大東亜共栄圏構想はどうだったのか、なぜ中国の領土で実現しなかったのか、という疑問が生じる。

 答えは簡単で、3つの理由があると思われる。 第一の理由は、中国は独立国であり、主権国家である以上、他人の奴隷になることはもちろん、他人の家来になることも当然許されないからである。 東南アジア諸国はまだ独立していなかったので、日本の登場は彼らに独立の希望を与え、それ故に大東亜圏を認識させることになった。



 第二の理由は、第8ルート軍と新第4軍が敵陣の後ろに戦場を開き、これらの共産主義者の戦闘員が人々をまとめ、日本の文化侵略に抵抗し、日本人が口をはさむ余地をなくしたことであった。

 第三の理由は、日本の戦争残虐行為を文化宣伝でごまかすことはできないし、忠義と義理を重んじ、牌のためではなく玉のために破られることを好むという儒教の伝統があったからである。

 結局、日本人はいかにして悪霊となって中国を残酷に扱うか、それしか考えられなかったのだ。 日本のセットは中国の領土で壊れたままで、大東亜共栄圏は嘘だったと言わざるを得ない。


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